いっその事、生きる意志のある人にこの体を提供できればいいのになぁと思うことがある。ただその代わりに、安らかな死を与えてくれて、死にまつわるあらゆる"しがらみ"を解決してくれれば、の話だけれど。死を選択する事が許される時代がきたら、それを仕事にする奴も現れるだろうなぁ。
中学生当時、その時なりの真剣な思いで死をのぞんだ事があった。それで自分が変われるなら、それで自己の存在を世に主張できるなら、という気持ちでいた。けれど自分の死んだ後の世界に生きる親兄弟の感情を思うと、それは果たせなかった。それが"しがらみ"というやつだろう。
その後、年間自殺者数が万単位であることを知って、死が自分を取り巻くあらゆる世界に対する自己主張の一方法にはなりえないと気付かされた覚えがあるが、あの時"しがらみ"が無ければ、今こうして苦悩する自分は存在しなかった。結局、ヒトはそういう"しがらみ"に支えられ、あるいは支配されながら生きているのだなと思う。